日本ジョンソン協会第46回大会プログラム

日時: 2013527日(月)930分より受付開始

 

会場: 仙台ガーデンパレス

983-0852 仙台市宮城野区榴岡四丁目15

Tel022-299-6211 Fax022-299-6248

地図:http://www.hotelgp-sendai.com/information/

 

1. シンポジウム

「ローレンス・スターン生誕300年記念シンポジウム―300年後にスターンを読む」

(第1部)  10001200

 

司会・講師  坂本 武  (関西大学特契教授)

講師  井石 哲也 (活水女子大学教授)

講師  内田 勝  (岐阜大学教授)

講師  木戸 好信 (同志社大学非常勤講師)

 

2. 昼食会   12001250

 

3. シンポジウム

「ローレンス・スターン生誕300年記念シンポジウム―300年後にスターンを読む」

(第2部)  12501340

 

4. 休憩    13401400

 

5. 総会    14001510

 

※ 当日参加費・2,000円(昼食会にご出席の場合は弁当が出ます。釣り銭のないようにお願い致します。

    なお、弁当については、57日[火]までに事前申し込みが必要です)。


※ 総会にて、学術賞・奨励賞の表彰を行う予定です。

 

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日本ジョンソン協会事務局

448-8542  愛知県刈谷市井ヶ谷町広沢1

愛知教育大学 外国語教育講座 久野陽一研究室

E-mail: johnson.soc.jp[at]gmail.com

URL: http://johnson.main.jp/

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シンポジウム

 ローレンス・スターン生誕300年記念シンポジウム300年後にスターンを読む

 

 1713年生まれのスターンの生誕300年目に当たる今年、これを記念してシンポジウムを開催することとなった。日本ジョンソン協会としてもスターン・シンポジウムは初めての試みではないかと思う。本場英国でも7月に同様の会議が開かれる運びである。スターンが18世紀英国文壇に登場して以来、19世紀、20世紀が過ぎ、今や新世紀である。この間の多種多彩な批評理論の千変万化とともにスターンのテクストも様々な顔を見せてきた。今回、気鋭の研究者が集まった。われわれの議論によってこの希代の作家がどんな容貌を示すか、フロアの皆さんとともに試みてみたい。

 

 

Tristram Shandyの物語内のネットワーク

坂本 武

  Tristram Shandyのテクストに向かい合う時、最も強く読者の印象に残るものは、おそらく読者である「私」に対して直接的に、ゆさぶりをかけるように、ある種の関係を迫ってくる語りの自由奔放さであろう。人によっては不愉快に感じられるだろうこともこの語り手は意に介さない。父ウォルター・シャンディの古今の学識をひけらかす言説では読者をけむに巻き、叔父トウビーの築城遊戯やウォドマン未亡人との恋愛沙汰をめぐる語りでは、語り手は読者をきわどい場面に共犯者のごとく立ち会わせる。スターン文学の魅力の原点をこうした読者の取り込み方にあるとみて、テクストの内部構造を検証する。

 


スターン、グラフィック、現代

井石 哲也 

スターンは、自らの作品の創作と発表(出版)の両面について、当時の出版文化事情を強く意識し、それらを戦略的に行った作家であった。連続するダッシュ、空白、ブラックページ、マーブル模様、脱線曲線。スターンの小説を「奇抜」と読者に思わせてきた、グラフィック・デザイン的要素は、実はすべてが著者自身による発想とは限らない。発表では、この点を軸に、同時代の作家たちからの影響をみながら、主に『トリストラム・シャンディ』の独創性について再考してみたい。また、文字テクストとそれ以外の視覚テクストの両方を駆使するスターン的創作世界が、時代と場所を越えて、現代ネットワーク社会に登場した『電車男』(2004)のような異色小説にも反映されている現象についても話題にできればと思う。

 

 

ありふれた流行小説としてのTristram Shandy

内田 勝 

 21世紀の『トリストラム・シャンディ』論の主要な傾向の一つは、Thomas KeymerSterne, the Moderns and the Novel (2002)以降、『トリストラム・シャンディ』を他に類例のない特別な作品と考えるのではなく、18世紀中葉に流行していた、自己言及的な語り手による奇抜な趣向を備えた小説群の一つとして捉える論考が増えていることである。語りに読者を取り込み、創作過程に注意を喚起するメタフィクション的な仕掛けは、物や動物を主人公とする一連のit-narrativesをはじめ、当時の自伝体小説が『トリストラム・シャンディ』と共有していた特徴であった。私の発表では、1750-60年代の比較的無名な作家たちによる自伝体小説をいくつか取り上げて、それらの特徴的な場面と『シャンディ』の文章とを比べてみたい。

 

 

スターンとメタフィクション再考

木戸 好信

 幾重にも重なる入れ子構造、繰り返される頓絶と脱線、創作過程への過剰なまでの注意喚起、予め読み込まれる読者と批評家、書くこと及び書物への偏執狂的関心と印刷術的遊戯。20世紀の前衛小説家、小説理論家の愛読書たる『トリストラム・シャンディ』はあらゆるメタフィクションの母胎である。忘れてはならないのは、先覚者たちが指摘してきたように、メタフィクションは数ある小説技法や文学ジャンルのひとつではなく、すべての小説に本質的、生得的に内在する性向であること、いや、そればかりか我々読者のセカイ認識そのものであることだ。本報告では仮想化された読者という観点から『トリストラム・シャンディ』を再整理すると共に、出版不況が叫ばれて久しい昨今、現代日本においてなおガラパゴス的発展を極める、いわゆる「ライトノベル」の中にスターン的メタフィクションのエコーを感じ取ってみたい。